吃音症を抱えている人がラクに生きるヒント

吃音症と”共生”し、吃音の悩みを乗り越えていくためのブログ

話す以外の伝達手段を堂々と使っていく

状況にもよりますが、

 

”どうしても「言葉」で話さなければいけない”

という場面はあなたが思っているよりもずっと少ないはずです。

 

 

電話対応となると、流石に難しいですが、

 

あなたのことをよく知ってくれている人に対してであれば、

メールやライン、手紙で意思を伝えたり、

 

対面の場合でも、

軽いボディランゲージを使うことで、話す負担がかなり低くなります。

 

お店で注文するときなどでも、

別に話さなくても、

指で指したり、事前に欲しいものを紙に書いて見せることができます。

 

 

「逃げてはダメだ。話さない自分なんて最低だ」

 

 

そんな風に、自分で勝手に苦しめてはいませんか?

 

 

 

別に無理に話す必要はないと、私は思います。

 

相手に伝えられる他の手段があれば、堂々と使っていけばよいのです。

 

無理に話そうとして、自分を傷つける必要がどこにありましょうか?

 

 

 

話さないのは”逃避”ですか?

 

 

それならば、リハビリ中の人が「今日は疲れたから歩かない」と言ったとします。

 

 

これも逃避ですか?

 

 

仮に「それは逃避だ!」と論破してくる人がいたとしても、

その人はあなたの気持ちが理解できずに、「無責任なこと」を言っているだけなので、

全然気にしなくても大丈夫です。

 

 

逃避だとか、正論はどうでもいい。

あなたが話したくなければ、話さなくていい。

 

 

そのように考えてよいのです。

 

 

決して自分を責めないで。

 

 

 

その上で、あなたが、やっていくべきことをこれから述べていきますね。

 

 

 

 

 

職場や家庭の中であなたのことをよく知らずにいる人がいて、

 

”その人との仲を改善していきたい…!”と思うのであれば、

勇気を出して次のことを伝えてみるのが良いでしょう。

 

 

「自分の吃音のこと」と、

「自分はどう生きたいか」。

 

そして、

「相手にどうしてほしいか」を。

 

 

自分が話す以外の手段を堂々と使っていけるように、

あなたの生活環境から整えていきましょう。

 

最初はエネルギーがいるとは思いますが、

非吃音者は、吃音者であるあなたを

「事情を知らずに」理解することは”不可能”です。

 

 

相手に自分のことを知ってもらうために、

ここだけは、怠らずに、頑張って勇気を出して行動して下さい。

 

 

 

どんな場合でもそうですが、

 

 

話せないから”放棄”する

のではなく、

 

話せなくても、上手く伝えられなくてもよいから、相手に”誠意”を示す

ということがとても大切です。

 

 

話せないことは決して〝汚点〟ではありません。

 

「話せないことを恥じてしまう」ことが、

〝汚点〟と自分で認めてしまっている所以なのです。

 

と言っても、

 

周りの人が当たり前のようにできて、

それが自分にはできない所を目の当たりにすると、

恥じたくもなるのは致し方ないことなのですが、

 

 

これは、

 

「類まれな才能・資質を持つ自分だからこそ、神に与えられた課題であり、試練である」

と認識しましょう。

 

 

実際に、

「とても思慮深く、思いやりがある人」でないと吃音症になるはずがありませんから。

 

 

もっと自分に自信を持ってもよいです。

 

 

話すことに自信を持てなくてもよいので、

どうか、自分という「才能・資質に溢れた人間」に自信を持ってください。

 

 

自分として社会でふるまえるようになると、自然と自分に自信が持て、

話すことに対しての恐怖もだんだん薄れていくでしょう。

 

 

”どもるかどもらないか”とかは関係なく、

話すことに対してストレスを感じにくくなっていくでしょう。

 

 

それが、吃音症と向き合っていくということなのです。