吃音症を抱えている人がラクに生きるヒント

吃音症と”共生”し、吃音の悩みを乗り越えていくためのブログ

隠そうとしなくていい

吃音者はとにかく自身のどもりを「隠そう」とします。

 

そして、自分が吃音者であることを他者に隠そうとし、

自分自身ですらも吃音を受け入れられていない人がほとんどです。

 

 

他者と比較して、上手く話せない自分を否定してしまうのはなぜなのでしょうか?

 

 

 

それは、他者からも、自分からも、

頑張ればできそうに見えるからです。

 

 

吃音は心の内面の問題ですから、

目に見えません。

そして、一般社会ではまだまだ認知度が低いです。

 

 

それ故に、他者からはできない理由が分かりづらいですし、

自分自身ですらも、自分の心の状態をハッキリと言語化できるものではないでしょう。

 

 

 

そういった状況がますます吃音者を苦しめ、

自己否定と劣等感を強めてしまう原因になりかねないのです。

 

 

人間なら誰しも、一つや二つ「苦手なもの、劣等感を抱いているもの」があるものです。

 

 

 

例えば、背がすごく低い男性Aさんがいるとします。

 

周りの人たちは大体170cmはあり、低い人でも160cmはあるでしょう。

 

ところがその人は155cmしかありませんでした。

 

 

多少の低身長なら同士もいますし、愚痴を言う話題に使われる程度でしょう。

しかし、160cmを下回る”低すぎる人”はほとんどいません。

 

 

同士がいないのです。

つまり、理解者がいない

(わけではありませんが、共感者はごく少数でしょう。)

 

しかも、身長は伸ばそうと思って伸ばせるものではないため、

その状態がずっと続きます。

 

 

これが、「わたしはここにいていいんだ」という”所属感”の欠如であり、

孤独への恐怖なのです。

 

 

では、Aさんの立場に戻って

「低身長であることは劣等感をもつべきこと」なのでしょうか?

 

バレーボールでは、「リベロ」というポジションがあります。

バスケットボールでは、「ガード」というポジションがあります。

 

どちらも低身長だからこそ与えられた役割なのです。

 

スポーツに限った話ではなく、

低身長だからこそ、生かせる仕事、役割が必ずあります。

 

Aさんの劣等感は、単なる主観でしかなく、

”劣等性”ではなかったのです。

(ちなみにそのAさんは他でもない「私」です)

 

 

 

話を戻します。

 

吃音者の人数は少なく(人口の1%と言われています)、

理解者・共感者も少ないのが現状でしょう。

 

 

「わたしはここにいていいんだ」という”所属感”の欠如と、

孤独への恐怖を感じることがあるかもしれません。

 

 

 

しかし、それらの感情は自ら生み出した「劣等感」でしかなく、

”劣等性”では決してないということをどうか忘れないで下さい。

 

どもりの現象だけをみれば、劣等性に見えるかもしれませんが、

「吃音者は優秀な人が多い」という話を思い出してください。

 

 

どもるのには理由があるのです。

そこに善悪は特になく、「自分はどもりやすい性格と資質なんだな」とただ自分を受け入れてあげてください。

 

 

 

あなただからこそ、できる仕事

あなただからこそ、こなせる「役割」がきっとあります。

 

 

 

隠す気持ちをなくしていき、

「自分にできること」をただやっていきましょう。

 

その道は、楽ではないでしょうが、

苦難でもありません。

 

 

 

自分の吃音を丸ごと受け止め

会話の「話題」にできるくらいに自己肯定できれば、

 

その時にはもう、それほど吃音に悩まされることもないでしょう。