不快感を肯定していく
吃音の悩みはそう簡単に消えるものではありません。
正しい知識を得て、
前向きに生き始めることができても、重要なのはそこからです。
吃音は自分の”コントロール外”にありますから、
どもる自分を肯定しようとしても、中々上手くいかないことが多いです。
「どもっても別にいいんだ…」
「他の人と違ってもいい…」
そう自分に言い聞かせても、
心の中で、「それは気休めに過ぎない…」と思ってしまうことも多いでしょう。
自分を受け入れることはそう簡単ではありません。
吃音者にとって、自分の吃音は”劣等コンプレックス”ですから、
まずは、その認識を少しずつ”融解”させていくよりないのです。
では、まずどこから始めていけばよいのか?
どうすれば、前に進んでいけるのか?
自分を好きになれるのか?
私は、即効性のある具体的な解決策はないと思っています。
もし、仮にあるとすれば、”吃音者”なんて肩書きはこの世に存在しないでしょうから。
しかし、それでも、私たち吃音者は確実に前に進む努力をしていくべきですし、
それが可能だと思っています。
まずは、自分がどもった時の”不快感”を肯定していくことです。
どういうことかと言いますと、
自分がどもって恥をかいたり、上手く会話が出来なかった時。
自分が”嫌な思い”をした時です。
その時に、
「あ~なんでいつもこうなるんだ…」
「吃音なんて無くなればいいのに…」
そういった心の声を、
「まあどもるのはしょうがないよね。
そして、どもった時に毎回抱くこの”不快感”も自然なことだ。
でも、吃音と向き合い、受け入れことが出来れば、
きっとこの不快感も薄れていくはずだから、前向きに生きていこう。
きっと大丈夫。」
こういった声に変えていくことが、”改善の道”につながっていきます。
自分の「体の反応」を柔和に受け止めるのです。
そして、その不快感を
吃音のせいでも、
自分のせいでも、
相手のせいにするでもなく、
ただ、どもるのは”私の一部”だからしょうがないと受け止めるのです。
一朝一夕でなんとかなる話ではありませんが、
吃音のせいでも、誰のせいにでもせず、
ただ、「自己受容」を持って強く生きること。
何気ない日常の中で、自分を受け入れ、強く生き続けること。
「自分の未来」を信じてたくましく生きましょう。
それは、吃音者に限らず、
生きている者が”活き活き”と前向きに生きていくための「人生の課題」なのですから。