吃音症を抱えている人がラクに生きるヒント

吃音症と”共生”し、吃音の悩みを乗り越えていくためのブログ

苦手があるくらいが丁度いい

 

 

完璧すぎる人は、周りから見ても、自分から見てもつまらない。

味気ない。

 

 

人生は上手くいかないものでありますが、

逆に考えると、

上手くいきすぎてもつまらないのです。

 

 

私たち吃音者は、「吃音」という大きな悩みがあり、

「話すこと」に強い苦手意識があります。

 

「このままではいけない…」

「どうにかして変わらなくては…」

 

という思いが強いかと思います。

 

 

しかし、「苦手を克服すること」が目的になってはいけないと私は思います。

 

 

自分の弱点を克服しようとすること。

その行為自体は”一見”素晴らしいように見えますが、ここには大きな”落とし穴”があります。

 

 

 

それは、

 

 

 

強い向上心は、

「自己否定」の裏返しだということ。

 

 

 

自分の弱点を受け入れきれていないからこそ、変わりたいという気持ちが芽生えるのです。

 

 

向上心は自己成長するために大切なことですが、

吃音者の「自身の喋り」に対する向上心は、

一般的に持たれる向上心とは”比にならないくらい”とても強いものなのです。

 

強すぎるがゆえに、空回りしてしまうのです。

 

 

 

なので、吃音改善に進むにあたり、

まず大切なことは、

 

 

 

・苦手はあっていいということ

 

・苦手がある自分を受け入れてあげるということ

 

心に余裕があれば、

・苦手があるからこそ、”味わい深い人生”を送ることができるということ

 

 

 

これらを、客観的に感じて、身体で理解していくことです。

 

 

 

 

 

あなたの周りの人をよく観察してみてください。

 

誰一人として、苦手が無い人はいないでしょう。

完璧そうに見える人は、弱点が見えないように一人で抱え込んでいる人が多いです。

 

 

そして、彼(女)らは、

「(その)苦手なことで悩んでいる」とあなたに相談してきたとします。

 

 

あなたなら何とアドバイスするでしょうか?

 

 

 

例えば、顔に劣等コンプレックスを抱えている人がいたとします。

 

 

あなたなら、その人に

「だったら整形しましょう。」

とアドバイスするでしょうか?

 

 

 

その人がまず改善すべきことは、直接的な顔ではなく、

 

「自身の顔が嫌いだと思っている」こと。

その気持ちを改めていくことではないでしょうか?

 

 

例えば、「優柔不断な自分が嫌い」だという人がいたとします。

 

 

「即断即決の習慣をつけていく」ように特訓することは、

その人のためになるでしょうか?

 

 

そんな習慣は、止めれば元に戻るだけの意味のない努力です。

 

 

 

そもそも優柔不断はダメなことなのでしょうか?

 

 

潔い決断ができず、行動するのが遅くなる。

それによるデメリットは確かにあるでしょうが、

 

それを言うならば、

早すぎる決断が、迂闊な行動となり、

大きなトラブルになることだってあるでしょう。

 

 

優柔不断と即断即決は一長一短なのです。

 

世間的には、「即断即決が男らしい」と評価が高い風潮がありますが、

カッコよさなんてただの建前です。

 

 

極端に言えば、

 

「神風特攻隊が英雄であり、逃れた人が逃避者である。」

こう言われていた戦時中と似たようなものです。

 

私は、命を大切にした逃避者の方が本当の意味で"美しい生きざま”なのではないかと思います。

 

 

建前に振り回されず、「優柔不断は自分のポテンシャルなのだ」と受け入れることがその人にとって本当に意味のあることでしょう。

 

 

2つの例に共通して言えることは、

苦手は受け入れることで、初めて前に進めるということ。

 

 

これは吃音症も例外ではありません。

 

苦手があるくらいが丁度いい

と前向きに、自分の吃音を受け入れていきましょう。