吃音症を抱えている人がラクに生きるヒント

吃音症と”共生”し、吃音の悩みを乗り越えていくためのブログ

相手と自分は平等なんだと自覚する

自信のない人は、関わる相手に対して、一歩引いてしまう所があります。

 

関わる相手全員が自分よりも立派な人に見えてしまうんですよね。

 

 

相手のいい面だけを見て、自分と比べてみる。

自分の欠点とそれがない相手と比べてみる。

 

そんなことを続けていれば、自信が無くなっていくのは当然のことではないのでしょうか。

 

 

あなたが思っているほど周りの人間は優れてはいません。

みんな一人の普通の人間。大したことはないのです。

 

一見完璧にみえる人も、自分の弱点を上手に補ったり、隠したりしているだけのことがほとんどです。

 

 

年齢やステータスも人間の価値には関係ありません。

 

そもそも比べることが野暮なのです。

 

人間は、一人一人長所も短所も異なるので、生き方が変わってくるのは当然のことです。

 

社会で認められやすい人もいれば、そうでないひともいる。

世渡り上手な人もいれば、世渡りが苦手な人もいる。

 

 

おそらくあなたは両方後者なのではないでしょうか?(私もそうです)

 

それはもう仕方のないことなのではないでしょうか。

性質・性格という側面だけで判断することはあまりよくありませんが、得手不得手というものは確実に存在します。

 

ここは嘆いても、羨んでも何も生まれません。

まずは、自分のありのままを受け入れることがとても大切です。

 

 

そして、大事なことはここからです。

 

「で、そんな自分に生まれたわけだけど、これからどう生きていけばよいのか?」

「どうすれば自分らしく幸せに生きることができるのか?」

 

 

ここを日々自問自答していくのです。

 

 

自分という心と身体は変えることができませんが、”生き方”ならば今からいくらでも変えることができます。

 

 

思わず気構えてしまう相手に対しては、比較→自己否定という思考回路ではなく、ただただ敬意を持てばよいのです。

 

素晴らしいと思った相手には素直に素晴らしいと思えばいい。

 

 

「でも、相手と自分は違うから自分のできることをしていこう」

と切り替えて自分のできることをするのみです。

 

 

”相手と自分が平等だ”という一見単純な概念は、

 

 

 

①自分のありのままを受け入れる

②相手に敬意を持って接する

 

 

 

この二つを正しい順序で思考出来て初めて腑に落ちるのです。

①、②は同時にはできません。

 

特に大切で、簡単そうで難しい①の「自分のありのままを受け入れる」ということをまずは、目指していきましょう。

 

 

 

よく周りを観察する

自分という存在が、周りからどう見られているのかをよく知ることも大切です。

 

あなたが得体の知れない自信のなさを今も抱えているのだとしたら、

それは、幼少期~学生時代の対人関係が問題になっていることがほとんどです。

 

多感な思春期にクラスメイトに嫌がらせをされたり(相手側にその意思がなくても自身がそう感じたり)、はたまた劣等感や自己否定を植え付けられる家庭環境だったのかもしれません。

 

いずれにしても、あなたの自信のなさは、過去から来ている(引きずっている)ものであり、今現在のあなたには関係ありません。

 

そこをまずは自覚しましょう。

 

 

ただし、家庭環境に問題がある場合には、家族との関わり方を変えていく努力をした方が賢明です。

 

 

話し合いで解決できるような問題であれば、思い切って自分の気持ちを話してみましょう。

 

大体の場合は、”過干渉”ですから、

 

「気遣ってくれるのは有り難いけど、自己成長していきたいから、これからは少し遠くから見守っていてほしい」

 

などと話せばわかってもらえるはずです。

 

 

まずは、理解をしてもらう努力をし、それでも理解してもらえないようなら、家族との距離を置きましょう。

 

一旦離れてみることで、お互いのよりよい距離感が見えてくるはずです。

 

 

 

話を戻して、「自信のなさは過去から来ているもので、今現在に何の関係もない」という話でした。

 

 

だとするならば、目を向けるべきは”今”ということになりますね。

 

日々の生活の中で、あなたが接する人々はあなたをどのように見ているのか

それを客観的に見つめてみることが大切です。

 

 

コンビニの店員さん

病院、歯医者、眼科の受付の人、看護師さん、医者

交通誘導の警備員さん

など

 

人によって会う人は様々ですが、その人たちをよく観察してみるのです。

 

 

「自分がどう思われるか」という気持ちを一旦抜いて、

その相手の”ありのまま”を見てみるのです。

 

 

きっとあなたを「一人の対等で平等な人間」として親切に接してくれるはずです。

 

世の中には人の悪口や妬みなどをいう暇がないくらい、毎日を必死に真剣に生きている人が大勢います。

 

 

周りはあなたが思っているほどあなたのことを見てはいないのです。

 

 

これをいい意味でも悪い意味に捉えるのでもなく、それが「毎日を生きる」ということなのです。

 

 

 

例外的に注意しなくてはいけないのがTwitterFacebookYouTubeなどのSNSの書き込みです。

 

これらの書き込みには、相手が見えないことをいいことに心のない誹謗中傷の言葉がはびこっています。

 

にわかには信じられませんが、相手を傷つけることで自分の承認欲求を満たしている人もいるのです。

 

これらの言葉は真実ではなく、彼らの暇つぶしの戯言なのです。

 

自信がない人にとっては有害になるので、必要ではないときにコメントを流し見するのは極力控えたほうがいいでしょう。

 

 

やはり少しでも生身の人間と関わって、毎日を生きるということが自信をつけるためには必須なのではと私は今となって思います。

 

 

そのためにも出来るだけ毎日外に出ましょう。

 

事務的な会話でもいいのでとにかく人と話す機会を作ることです。

 

 

お金がないのでしたら、自分のできるアルバイトを探してみましょう。

 

そうして無理のない程度に自分と外界との心の距離を縮めることが あなたの自信につながるのは間違いないでしょう。

 

 

 

なぜ人と関わるのか?

 

 

それは、

人は一人では生きていけないから。

 

 

関わるのが面倒と思うのではなく、

 

人と協力しあって今の社会ができている

自分はその一員なんだと思う。

 

 

発想の大転換です。

 

 

今を生きていきましょう。

 

あえて自分らしく生きてみる

私もそうなのですが、自己肯定感が低い人は他人に気を使いすぎてしまうきらいがあります。

 

自己肯定感が低いと、他人に認められたい、褒められたいという気持ちが強くなってしまうのです。

 

これらを一般的に「承認欲求」といいますが、

 

承認欲求自体は別に悪いことがありません。

誰にもある感情です。

 

 

しかし、その気持ちが強くなりすぎると、他人の顔色を伺い生き続けることになります。

自分を殺して、他人がいいと思うような行動をし続けるのです。

 

もちろん仕事の中ではそういったこともある程度必要になりますし、

他人とのトラブルを極力避けることができるので、一理あるのです。

 

 

ですが、そんな生活をし続ければいつか疲れてしまいます。

いつもビクビクしながら

「あの人自分の悪口言ってないかな…」

「今相手の対応間違えたかな…相手が嫌な気持ちになったかな…」

 

この思考と行動のパターンは終わりがありません。

 

相手の感情は知りようがありませんし、

承認欲求は満たされて終わりというものではなく、一度満たされても時間がたてば再び渇くからです。

 

 

他人の顔色を伺い続ける生活では自信は一生つきません。

 

 

では、どうすればよいのか。

 

 

「あえて自分らしく生きる」ことです。

 

 

 

 

あなたが今まで他人に気を遣い続けて良かったと思うことはあるでしょうか?

 

 

ほとんどないと思います。

 

他人に気を遣ってもいいことはあまりないのです。

 

 

社会的成功を収めた有名な人の多くは、

他人の顔色など伺わず、若いころから好き勝手生きていたという事実があります。

 

あなたの知っている有名人の過去を調べてみると意外な過去が分かると思います。

 

 

むしろ若いうちは、他人の迷惑をかけるくらいでいいのかもしれません。

 

 

とは言うものの、「自分らしく生きる」ってなんでしょう?

 

今まで他人中心で行動していた人にとっては「自分らしさ」がわからないかもしれません。

 

かく言う私も、幼いころからずっと他人の顔色を伺って生きてきたので、

自分らしさが分からず、自分を掘り起こす日々です。(今もです。)

 

 

自分らしさ

 

 

すぐに分からなくてもいいので、

今日からそれを少しづつ見つけていきませんか?

 

 

自分という芯ができると、

他人に認められなくても「私はこれでいいんだ」と思えるようになり、

 

心の内から自信が湧いてくるのです。

 

お金を稼ぐ力をつける

自信というものは、「心の持ちよう」の部分が大きいですが、例外的に”物理的”にある程度補える方法があります。

 

それが「お金を稼ぐ」ということ。

 

生きていくうえでやはり、お金は必要不可欠であり、それを自分で補えることができれば大きな自信となります。

 

独立はしなくていいから「自立」はできるように努力はしていこう。

 

お金を稼ぐことは楽ではないことは、おそらくあなたも知っているはずでしょう。

 

しかし、身体が使えるのであればできる仕事はたくさんあります。

短時間アルバイトであれば、時間に縛られず、いい運動にもなるのです。

 

 

私自身のことを話すと、

私は吃音持ちで話すことが大の苦手です。(かく言う今も苦手です(苦笑))

22歳で大学を辞めるまで一切アルバイトをしたことがなく、親の好意に甘えてずっと家に引きこもっていました。

 

そんなわけで、いざアルバイトを探そうと思っても、何もできる気がしませんでした。

接客はもちろん、仕事仲間の会話ですらできそうに見えませんでした。

 

弱気な私に家族からのアドバイスで、

「スーパーの食品加工」ならあまり接客に困らずにできるのではないかと知り、

思い切って履歴書を書き、緊張しながら面接に行き、無事に採用されました。

 

最初は戸惑ったり、仕事仲間との会話につまずいたりしましたが、少しづつ話せるようになりました。

 

あの時勇気を出して踏み出せて良かったと思っています。

 

 

あなたがもし、引きこもっていて、

対人関係が怖い…、知らない人と話すのが怖い…

 

「でもバイトでお金を稼ぎたい…!」と思っているのであれば、私は二つの就職先をおススメします。

 

・スーパーの食品加工

・スーパーの品出し

 

ポイントは、スーパー。

スーパーであれば、部門によってはっきりと仕事が分かれているので、接客の全くない業務だけをすることができるからです。

 

接客を避けることは決して”逃げ”ではありません。

無理せず仕事を続けていくことが一番大切なのです。

 

続けることが自信にもなりますし、

少しづつ対人恐怖も減って業務内容なら仕事仲間と話せるようになります。

 

自分の力でお金を稼ぐ喜びも生まれるはずです。

 

 

 

多くの人は

YouTuber、アフィリエイト、FXなど不労所得に走りがちですが、

あなたが億万長者になりたいのではなく、自信をつけて並に生きていきたいのであれば、上記でお金を稼ごうとはせず、堅実にお金を稼ぐ方法をとりましょう。

 

上記の方法は夢はありますが、夢だけに終わる人がほとんどです。

0か100の世界なのです。

FXは0を下回ります。最悪破産まであります。

 

仮に、もしあなたがこれらをやりたいとしても私はいいと思っています。

しかしながらそれは、あなたがお金を堅実に稼げる力が身について自信がついてからにしましょう。

 

自信がないままやっても100%上手くいかないでしょう。

 

 

不労所得は、自信がついてから。(おススメはしません)

 

 

と上記すべてを目指し、3年以上費やしたあげくに断念した私からの忠告です。(苦笑)

 

 

お金が全てではありませんが、今現在働いていないのでしたら、

アルバイトから始めてみると「見える世界」が少し変わってくるかもしれません。

 

 

踏み出す一歩が一番勇気が要りますが

挑戦する心が生まれたら、思い切ってやってみることを強くおススメします。

 

 

苦手があるくらいが丁度いい

 

 

完璧すぎる人は、周りから見ても、自分から見てもつまらない。

味気ない。

 

 

人生は上手くいかないものでありますが、

逆に考えると、

上手くいきすぎてもつまらないのです。

 

 

私たち吃音者は、「吃音」という大きな悩みがあり、

「話すこと」に強い苦手意識があります。

 

「このままではいけない…」

「どうにかして変わらなくては…」

 

という思いが強いかと思います。

 

 

しかし、「苦手を克服すること」が目的になってはいけないと私は思います。

 

 

自分の弱点を克服しようとすること。

その行為自体は”一見”素晴らしいように見えますが、ここには大きな”落とし穴”があります。

 

 

 

それは、

 

 

 

強い向上心は、

「自己否定」の裏返しだということ。

 

 

 

自分の弱点を受け入れきれていないからこそ、変わりたいという気持ちが芽生えるのです。

 

 

向上心は自己成長するために大切なことですが、

吃音者の「自身の喋り」に対する向上心は、

一般的に持たれる向上心とは”比にならないくらい”とても強いものなのです。

 

強すぎるがゆえに、空回りしてしまうのです。

 

 

 

なので、吃音改善に進むにあたり、

まず大切なことは、

 

 

 

・苦手はあっていいということ

 

・苦手がある自分を受け入れてあげるということ

 

心に余裕があれば、

・苦手があるからこそ、”味わい深い人生”を送ることができるということ

 

 

 

これらを、客観的に感じて、身体で理解していくことです。

 

 

 

 

 

あなたの周りの人をよく観察してみてください。

 

誰一人として、苦手が無い人はいないでしょう。

完璧そうに見える人は、弱点が見えないように一人で抱え込んでいる人が多いです。

 

 

そして、彼(女)らは、

「(その)苦手なことで悩んでいる」とあなたに相談してきたとします。

 

 

あなたなら何とアドバイスするでしょうか?

 

 

 

例えば、顔に劣等コンプレックスを抱えている人がいたとします。

 

 

あなたなら、その人に

「だったら整形しましょう。」

とアドバイスするでしょうか?

 

 

 

その人がまず改善すべきことは、直接的な顔ではなく、

 

「自身の顔が嫌いだと思っている」こと。

その気持ちを改めていくことではないでしょうか?

 

 

例えば、「優柔不断な自分が嫌い」だという人がいたとします。

 

 

「即断即決の習慣をつけていく」ように特訓することは、

その人のためになるでしょうか?

 

 

そんな習慣は、止めれば元に戻るだけの意味のない努力です。

 

 

 

そもそも優柔不断はダメなことなのでしょうか?

 

 

潔い決断ができず、行動するのが遅くなる。

それによるデメリットは確かにあるでしょうが、

 

それを言うならば、

早すぎる決断が、迂闊な行動となり、

大きなトラブルになることだってあるでしょう。

 

 

優柔不断と即断即決は一長一短なのです。

 

世間的には、「即断即決が男らしい」と評価が高い風潮がありますが、

カッコよさなんてただの建前です。

 

 

極端に言えば、

 

「神風特攻隊が英雄であり、逃れた人が逃避者である。」

こう言われていた戦時中と似たようなものです。

 

私は、命を大切にした逃避者の方が本当の意味で"美しい生きざま”なのではないかと思います。

 

 

建前に振り回されず、「優柔不断は自分のポテンシャルなのだ」と受け入れることがその人にとって本当に意味のあることでしょう。

 

 

2つの例に共通して言えることは、

苦手は受け入れることで、初めて前に進めるということ。

 

 

これは吃音症も例外ではありません。

 

苦手があるくらいが丁度いい

と前向きに、自分の吃音を受け入れていきましょう。

 

応援される自分であり続ける

 吃音者は、どもることに対して悩んでいますが、

 

本当の悩みは、どもりが派生して及ぼされる「人間関係」に苦しんでいるのです。

 

 

どもりによって上手く伝えられない

 

他のスラスラと自分の気持ちを思いのままに口に出して話している非吃音者と比べて、劣等感を感じることは仕方のないことです。

 

 

 

 

それだけならまだいいのですが、

 

 

吃音者の本当の辛さはやはり”孤独”です。

 

それは、突き詰めると人間嫌い”

 

 

 

言葉のキャッチボールが自分の意志とは反対に上手く出来ない。

 

そうして、対人関係のトラブルや、不仲を経験していくことで、

 

 

「他者は自分を嫌っている。」

「自分だけをのけ者にする。」

 

というもどかしさと怒り、

 

 

「自分は、他者に迷惑をかけるから関わらない方が良い。」

「なぜ、自分は生きているのか。」

 

という無力感。

 

 

 

 

そういう気持ちが高まり、

 

「他人と関わりたくない」という気持ちが強まっていってしまうのです。

 

吃音者ならば、その人の生活環境、人間関係によっては、

このような”窮地”に陥ってしまうことがあるでしょう。

(私も窮地に押しつぶされる日々でした)

 

 

 

あえて人間嫌いを”窮地”と厳しく言います。

 

もしも、あなたも今そのような状況だったとしても、

深刻に受け止める必要はありません。

 

 

引きこもりの人は、人間嫌いの最たる者ですから、

 

あなただけでも、吃音者だけでもなく、

個々のそれぞれの悩みやトラウマが引き金となって、人間嫌いになる人は少なくありません。

 

 

 

しかし、一つだけ申しておくならば、

人間嫌いの人は、絶対に「幸せ」になることは出来ません。

 

 

幸福感のほとんどは他者との間に生まれますから、

孤独はやはり寂しく、辛いのです。

 

 

 

 

 

では、私たち吃音者には一体何ができるのでしょうか?

 

 

 

 

 

話すことに制限がかかるので、「トーク力」で他者と仲良くなることは難しいでしょう。

 

 

私が思う、吃音者が人間嫌いを克服していくーーー

 

 

その突破口になることは、

「応援される自分になる」ことだと思います。

 

 

これまでの記事でもお話ししましたが、

吃音者はその重さ問わず”障害者”の部類に入ります。

 

身体障害者を想像してもらえれば分かるように、

障害者とは、「頑張っても出来ないことがある人」なのです。

 

 

吃音者で言えば、どもること、緊張すると喋れなくなることは頑張っても変えることはできません。

 

であれば、出来ないことを無理矢理頑張る必要はありません。

 

無理して人間関係を作る必要はありません。

 

 

 

ただ、前に進む一歩として、

あなたの目の前にいる身近な人。

あなたにとって大切な人。

 

その人たちに「応援」される自分になること。

 

 

 

そのために、

 

色々辛いこと、苦しいことがあっても、「前向きに生きる」ことを忘れない。

そして、プライドは捨てて困ったことがあれば、相談に乗ってもらう。

その人にできることがあれば、遠慮なく助けてもらう。

 

 

それは、甘えではありません。

「助け合い」なのです。

 

 

他者と悩みを共有できれば、それはもはや悩みではなくなります。

 

 

苦しみの気持ちが和らぎ、

 

自分を、

そして相手を、

少しづつ好きになっていくでしょう。

 

 

”挑戦する心”を持ち続ければ、

人間嫌いもゆるやかに消えていくでしょう。

 

 

 

「あなたの幸せ」はきっとその先にあります。

 

 

だから、どうか諦めずに、

もがき続けて、

 

苦しんでも、前に進んでくださいね。

 

吃音者は自信が無くて当然

吃音者は、吃音生活を続けていく中で、

自信を少しづつ失っていく傾向があります。

 

 

 

同じような能力を持っている非吃音者がいるとして、

吃音者の人は、その人よりも自信を持てないことがほとんどでしょう。

 

”自分の能力に関係なく”、自分を卑下してしまうのです。

 

 

もっと言えば、

「自分」という存在を人よりも軽く見てしまっている

 

のです。

 

 

 

 

「自分なんて、別にいなくてもいい…」

 

 

 

 

そんなことを考えてしまったことはありませんか?

 

これは、超ネガティブになってしまった時の一例ですが、

この思考は、看過できるものではありませんので、

できるだけ、「自分を卑下する」思考パターンを変えていくことがとても大切です。

 

 

 

 

今回は、そのための原因追及

「なぜ、私たち吃音者は自信が持てないのか?」

を掘り下げていきます。

 

 

 

相手に認めてもらう、受け入れてもらうことにおいて、

 

相手に話す → 聞いてもらう → 返答してもらう

 

という行動プロセスは必須レベルになってきます。

 

 

 

私たち人間は、一人で生きていくことが出来ませんから、

どうしたって、他者と関わる必要があり、

”他者の支え”が必要だからです。

 

 

もちろん、会話だけではなく、

「行動で示す」ことももちろんありますので、

 

会話が全てというわけではありませんが、

 

初対面の人とは、必ず「会話」から始まります。

行動で示すことができるのは、ある程度の”信頼”が得られてからです。

 

 

また、行動で示すというのは、時間を結構要することが多いですが、

会話の場合は、吃音という概念をなくせば、早ければ数秒で終わります。

 

しっかりと話し合うことで、誤解を生むことも少なくなります。

 

 

ですので、「話せば分かる」という言葉があるように、

話し上手な人が自信があるのはある意味当然なのです。

 

 

 

自信があるというのは、

「自分は、この先も生きていける…!」という確信の”表れ”なのです。

 

 

 

話すことにコンプレックスを抱えている吃音者が自信を持てないのは、

ある意味で当然のことなのです。

 

最も効率的で、社会で生きていくために必須な「話す」という行為を、

苦手に感じているのですから。

 

 

 

相手に上手く伝えられなくて、

相手を怒らせたり、誤解させたりしたことはありませんか?

 

 

頑張って話したのにぼそぼそ声になって、

相手に聞こえず、結果的に相手に無視されたことはありませんか?

 

 

言いたかったことがあったけど、どもるのが怖くて、

言いたい気持ちを押し殺したことはありませんか?

 

 

 

 

私は、何度もあります。それこそ数えきれないほどの経験を。

 

 

 

あなたも同じような経験をきっとされているはずです。

 

 

 

 

このような、自分ではどうすることも出来ない”理不尽な経験”をし続けて、

自分に自信を持てるはずがありません。

 

 

 

 

しかし、あなた自身「このままでいい」とは思っていないはずです。

 

「吃音者は自信が無くて当然」

 

 

このことをまずは受け入れてしまいましょう。

今の自分の現状を悲観せず、そのまま受け入れることが前に進むための最初の大きな一歩です。

 

 

受け入れたからと言って、吃音が治るわけではありませんが、

とにかく、「自分にできることをやっていくこと」

私たちにはそれしかできません。

 

 

「どもり」と「自信」は結構”密接”にかかわっていますので、

 

 

一から自信をつけていくつもりで、

無理せず、自分のペースで自分を生きてください。

 

 

 

職業的なスキルで、社会的に認められる(収入が得られる)ものがあると、

それも「自信」に繋がっていきます

 

 

”何かを極める”努力も同時にやっていくと、

吃音の早期克服につながっていくでしょう。